明治中期・時津の家並み
(2004.3.6)

この写真は長崎大学付属図書館所蔵のもの、許可を頂いて搭載した
撮影時期は明治中期といわれ、撮影者はわかっていない。
古写真は、白黒のフィルムで撮影されたものであるが、専門家によって色をつけられ自然の風景に近づけたたものである。


写真を町の古老・元文化協会会長川林虎次郎氏(大正8年生まれ84歳)と一緒にみた
時津の町の繁栄を想い描いて頂きたい。


撮影位地の特定
写真後方長与の山々と、時津の山の位置、高低をかさねてみると、撮影場所は時津町浦郷北どまりの墓地付近と考えられる。

時津町の中心部八幡神社から現在の国道206号線に通じる通りから、海岸よりの町(神、中、新地等)は
1823年文政6年頃海岸の埋めてによって誕生した町である。(約170年前)

写真は新地などの家並みが撮影されており、しかも家が密集していることから相当な年月が
たってから撮影されたものであることがわかる。

長与の山の手前中央の小さい山は城山、右手が八幡山(川林談)
海の対岸一帯は松ノ木があった。
写真中央右方の木立は八幡神社で建物と塀らしきものが見える。
八幡神社の左後方の木立は満行寺である。

時津湾入り江の一番右に海岸通りが見え、漁村によくある「竹のやぐら」がある。網の補修や船着場として
利用していたものであろう。

家並みの中央部、瓦葺の集落は、新しい町並みで新地であろう。その後方八幡神社左手前は神郷集落で草葺の集落が見える。
新地手前に草葺の集落・浦郷北どまりの集落。
時津川の位置がはっきりしないが、新地と北どまりの集落の間、写真左に川の石垣らしき部分が
少しみえる。(これが川かどうかはっきりしない)

時津町は江戸時代から時津街道いわれ人の往来で賑わった。
草葺の屋根もしっかりしており、家並みになんとなく温かさを感じる。


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